誰もがヒーローになる瞬間がある
中学生の頃だったでしょうか。
それなりに反抗期だったような覚えがあります。
だから、もっとも身近な人に対して「あらさがし」をするかのように、イヤなところばかり見つけようとしていた時期がありました。
そんなある日のことでした。
中学校へ行く途中、ひとりの男性が歩いていたんです。
その人はメガネをかけてTシャツを着た、今にして思えばいたって普通の方だったんですが、当時「オタク」が一人称として歩き始めた時代だったので、何の気なしに「あ、オタクが歩いてる」と思ったんです。
それも、ちょっと「ダサっ」なんて思って見ていたんです。
ただ、すぐに気が付きました。
その男性の腕の中には小さな女の子が抱かれていたことを。
その女の子はしっかりとパパに抱かれていて、(そのときのイヤ〜な性格のわたしから見たら)しがない風貌の男性も、その女の子をしっかりと抱いていて、とても大きな人に見えたんです。
それを目にした途端、自らを恥じるよりも先に「どんな人でもヒーローになる瞬間がある」と強く強く思ったことを今でも忘れません。
そして今。
フロンティアでは毎日ヒーローが生まれています。
ウマコをなでくり回すじいちゃんを眩しい顔で見上げる男の子。
馬にまたがり颯爽と駆けるママをキラキラした顔で見つめる子供と男の子の顔になっているパパ。
ウマコと自分の間に立って励ましてくれるお姉ちゃんの手をギュッと握りしめる妹ちゃん。
実にいろいろなヒーローが日々生まれています。
そして、ウマコたちもまた、人に歩み寄り、協力することで誰かを喜ばせてヒーローだと思ってもらえています。
ありがとうと言ってもらっています。
大きなことじゃなくていいんです。
何気ない行為が、誰かにとってはものすごく大きく力強く優しいヒーローに値することになるんだなって思ったときに、中学生の頃の出来事を思い出すんです。
これまでそんな出来事は思い出したことがなかったのに。
中学生の気付きが今、こんな形で蘇るんだなあとじみじみと感じてしまいます。
今はもっと確かに思っています。
誰もがヒーローになる瞬間があると。
だから、牧場へ訪れた人で「あ、今ヒーロー」そう思う瞬間があったときは、ためらわずに伝えたい。
この4連休のように大きなお休みになり、たくさんの人が遊びに来てくれるようになると、毎度毎度そう思うのでした。